大和ミュージアム

第2弾:大和ミュージアム 館内編

こんにちは、お疲れ様です。simonです。

今回は大和ミュージアム館内と零戦について話していきます。

一発目は砲弾からです。

大和型戦艦は46cm砲なしでは語れませんからね!

以下の一番左が46cm砲用の91式徹甲弾です。

46cm91式徹甲弾は全長が1955mm 重さは約1460kgで炸薬量は33.85kgです。

重さのイメージとしては大体普通車ぐらいの重量でしょうか。

炸薬とは砲弾が敵艦に命中した際に貫通後に爆発する砲弾内部の火薬です。

この弾を大和は初速780m/s (時速で2808km/h)で発射します。

その射程距離はなんと42kmです。

とんでもないですね。

普通車を音速の2倍ほどで42kmまで飛ばしちゃうなんて。

続いては零式艦上戦闘機,通称ゼロ戦です。

62型とは

この零戦は62型といいまして、戦時末期に作られたタイプのものです。

零戦は終戦まで様々な改良が施され、派生型も多いですが、この62型が最後の機体といえるでしょう。

その理由は、用途にあります。零戦はその名の通り、海上の空母で運用される艦上戦闘機です。

映画 永遠の0等で出てくるクリーム色の機体、その機体が零戦が独壇場だった頃の21型と呼ばれるタイプです。

当初は強みであった、軽量かつ空力的に洗練された機体で空中格闘戦では無敵でしが以下の欠点がありました。

21型の弱み

・エンジンは特別強力なものではないこと(これが後に響いてくる)

・軽量を優先したが故に被弾した際のダメージが致命的なものになる可能性が高い(機体強度を上げれば重量が増すため強みを損ねる可能性がある)

・同じく軽量化により高高度からの急降下による速度に耐えられない翼構造強度の脆弱さ(高速で降下するとバラバラになるかも)

零戦の最終進化形態、53型

21型の弱点は上の通りですが、戦時中複数の改良を受け最終的に52型へと進化してゆきます。

重量は200kgほど重くなりましたが、推力式単排気管(排気ガスを推力の一部とするもの)の採用により、

最高速度は20km/h、上昇速度も向上しています。また、翼内に自動消火器を配置し防御力の向上が図られていました。

今回は割愛しますが、52型は3タイプあり、ガラスの正面を防弾ガラスに変更したり、翼の強度を上げて急降下速度を向上させたものもありました。

そして真の意味での最終形態62型

前置きが長くなりましたが、零戦は戦闘機として生まれ、戦闘機として改良されてきました。

しかし、終戦間際には戦闘機に爆撃の任務を与えるようになりました。そうです、特攻です。

勘のよい方はもう分かったかと思いますが、この零戦は特攻専用機として最期を迎えます。

零戦以外の新型爆撃機も登場していましたが、もうこの頃のアメリカ海軍の防空能力は凄まじく、防空網を突破するのも絶望的でした。

それを打開するべく、21型の運動性能を活かして接近し攻撃できないと考え、生み出された戦闘爆撃機 通称、爆戦がこの62型になります。

21型をベースに250kg爆弾を搭載するためのハードポイント(爆弾を取り付ける場所)搭載し、航続距離を延ばすため増槽(外部燃料タンク)を両翼に搭載。

爆撃時の急降下に耐えるべく翼の強度を上げました。こうして完成したのが零戦62型になります。これまでの零戦の爆弾搭載量は120kgまでなんですけどね、、、

おわりに

最後はこのような目的に使用されることとなりましたが、当時の日本の技術者の魂がこもっていることは確かです。

設計変遷を見て、同じ技術者として当時の技術者の色んな思惑が伺えました。

この零戦が戦時の日本の姿を物語っているように思えます。

ここまで読んでいただきありがとうございました。名前は知っている零戦、その零戦についてまたひとつ詳しくなっていただけたのなら幸いです。

本日はここまで、ではまた!

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